現代教科論の研究
教科教授の活動定位的構成
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まえがき
序章 現代教科論の新しい構想と構成
一 科学―技術革新の下での教科諭
二 一般教授学と特殊な教授学としての教科諸方法学
三 教授学と教科諸方法学の内容的コーディニールンク
四 教科部門の教授理論のプロフィール化
五 教授過程の段階特殊なアスペクト
六 教科論の研究意図
七 教科教授の活動定位的構成についての研究経過
八 アメリカ教育における活動運動
九 本書の叙述について
第一部 現代教科論の歴史的前提
第一章 一九世期へルバルト派の教科思考と集中原理
第一節 へルバルトとツィラーの教科思考と集中思考
第二節 ラインとデェルプフェルトの教科思考と集中思考
第三節 他のへルバルト派の人々の教科思考と集中思考
第四節 集中原理と教科思考
第二章 教科主義と無教科主導教授
第一節 近代教授学における教科教授の原型
第二節 ヴァルドルフ学校の教育学と教科観
第三節 ヴァルドルフ学校のレールプランと教科論
第四節 ゲルヴェックの教科論とゲザムト教授
第五節 教科教授の諸改革提案
第六節 オームズの無教科主導教授
第三章 生活圏に則った教授と脱教科化
第一節 世界図絵と近代教授思想
第二節 世界図絵の素材観と生活圏
第三節 ザールブリュッケンの生活学校の生活圏と教科観
第四節 生活圏と素材選択ならびに生活圏の種類
第四章 無教科主導教授としてのゲザムト教授への取り組み
第一節 ライプチヒの低学年ゲザムト教授と教科教授
第二節 ドレスデンの低学年ゲザムト教授と教科教授
第三節 ブレーメンの改革者達のゲザムト教授
第四節 ミュンへン実験学校のゲザムト教授と教科教授
第五章 ゲザムト教授の問題性と教科観
第一節 上学年ゲザムト教授の部顆と形態
第二節 上学年ゲザムト教授の問題性と対立見解
第三節 実践的―方法的なものか一般的―教育学的問題か
第四節 ゲザムト教授は単なる素材的―方法的問題か
第五節 ゲザムト教授は「集中」なのか、あるいは「教授の転換」なのか
第六章 ゲザムト教授のジンテーゼと教科教授
第一節 素材―価値ジンテーゼ―学校形態のジンテーゼ
第二節 刻印と表現のジンテーゼ
第三節 合理的なものと非合理的なもののジンテーゼ
第四節 科学と芸術のジンテーゼ―基本的態度の変転
第五節 教授学的諸形態の多様性による教授学的一元論の蒐服
第六節 核知識と周辺知識への分離による教授学的実質陶冶主義の克服
第七節 ゲザムト教授のレールガンクの問題性
第二部 現代教科教授の振舞心理学的再構成
第一章 教科教授の心理学的活動構想
第一節 心理学における活動構想
第二節 方法論的概念としての活動
第三節 心理学的概念としての活動の歴史的研究経緯
第四節 心理学的活動構想と活動方略
第二章 教科教授の心理学的活動理論
第一節 活動構想の教科教授への転換の問題
第二節 活動理論の主要内容―心理的なもの、活動、人格、発達の関連
第三節 活動概念について―活動と振舞
第四節 心理学と教育学のための理論的―方法論的問題
第五節 活動理論の発展諸課題
第三章 振舞の心理的調整構成要素のモデル
第一節 振舞の心理的調整構成要素に依拠したシステムとモデル
第二節 振舞の心理的調整構成要素の諸モデルの検討
第三節 モデルの比較研究の結論とコサコフスキー・モデル
第四章 自立的振舞調整の心理的構成要素の発達の基本経過
第一節 教育的調節形態と内的調整構成要素の発達
第二節 教育的調節諸形態の自己調整の心理的構成要素の発達への移行と
関係
第三節 教育的調節諸形態と心理的諸特性の発達
第四節 系統的な教育的指導と振舞の心理的調整諸構成要素の発達
第五節 コサコフスキーの人格発達の振舞心理学的アスペクト
第五章 活動理論的構想の学習活動の分析と形成への適用
第一節 教科教授における学習活動の活動理論的転換
第二節 学習活動の本質と心理的構造
第三節 学習活動の心理的調整
第六章 教授における習得の心理学的基礎と前提
第一節 「習得」概念と習得実現
第二節 客観的要求と習得過程
第三節 習得構想と教授ストラテジー
第四節 活動のなかで、活動を通した習得
第五節 活動の客観的・主観的構成要素と相互関係
第七章 人格の心理的個体発生の時期区分の発達理論的諸問題と教科教授
第一節 教科教授の段階的構成のための時期区分の問題
第二節 心理的個体発生の時期区分の原則的アプローチ様式
第三節 個体発生の異なった段階における心理的諸特有性の形成の諸条件
第四節 段階特殊な活動諸システムの分析
第五節 個体発生の諸段階における心理的発達の理論的叙述様式
第三部 現代教科教授の活動理論的再構成
第一章 教科の教授過程の本質と構造とダイナミズム
第一節 教科の教授過程の理解と立脚点と問題
第二節 教育過程と教授過程との諸関係
第三節 弁証法的発達過程としての教授過程についての諸理解
第四節 教授過程のモデル化の諸問題
第二章 子どもの精神的能動性と学習活動の能動化
第一節 能動性の向上についての複合的実験の検討
第二節 能動性研究の認識水準と方策
第三節 能動性形成のための教授構成の心理学的観点
第四節 精神的能動性の形成についての略史
第三章 教授過程構成の構造原理と機能原理
第一節 教授学と方法学における教授原理の問題
第二節 教授過程構成の構造原理の導出と基礎づけ
第三節 教授過程構成の機能原理の導出と基礎づけ
第四章 教授における教えるものと学ぶもののポジションと主体的活動
第一節 教授における教えるものと学ぶもののポジションの規定
第二節 学ぶもののポジションと教授の基本関係
第三節 教育学的な主体―客体―弁証法
第四節 教授過程のアクトイアー達の関係
第五節 学ぶものの教授学的コンペテンツと教師のコンペテンツ
第五章 教授活動と教授過程構成の集団的主体
第一節 教授と集団をめぐる理論的問題状況
第二節 社会的活動の部類としての教授
第三節 ゾチアールな教授活動と教授学的諸関係のシステム
第四節 「集団的主体」概念と教授過程の集団的構成
第六章 教科教授におけるコミュユニケーション活動と協同活動の研究
立脚点
第一節 教授の個人的作用ファクターとゾチアールな作用ファクター
第二節 教授におけるコミュニケーションと協同の研究経過
第三節 研究経過とそこでの諸問題
第四節 教授指導の方略的構想
第五節 アクチュアルな教授事態との関係設定
第六節 教授におけるコミュニケーションと協同の研究の理論的・方法論
的問題
第七章 教授における媒介の教授学的基礎と前提
第一節 媒介概念と教授学的媒介の諸関係と諸事象
第二節 素材伝達と媒介過程の構造
第三節 対象的諸関係とゾチアール諸関係の統一の構成
第四節 自己アイデソティティの体験の媒介
第五節 媒介の担手としてのコミュニケーション
第八章 学級集団のゾチアールな諸関係の尭達と指導
第一節 「ゾチアールな関係」とは何か
第二節 学級集団におけるゾチアールな諸関係の発達
第三節 協同的学習活動と肯定的ゾチアールな諸関係の指導
第四節 言語的コミュニケーションと肯定的ゾチアールな諸関係の指導
第九章 教授における集団活動のゾチアールな推進諸力
第一節 教授のゾチアールな集団性と協同―コミュニケーション活動
第二節 教授のゾチアールな潜在力と教授過程の構造と運動
第三節 教授のゾチアール性と集団性
第四節 教授の主体と客体としての生徒集団の集団的・活動定位的構成
第五節 個人的主体ポジションと集団的主体ポジション
第十章 教科教授の教授学的カテゴリーの検討
第一節 教科の伝統的カテゴリーと新しいカテゴリー
第二節 カテゴリー「教えることと学ぶこと」、「内容と方法」
第三節 カテゴリー「教授学的原理」と「教授学的機能」
第四節 カテゴリー「教授方法」と「組織形態」
第五節 カテゴリー「教授手段」
終章 教科論の新しいカテゴリーと理論体系の構築
第一節 教科教授のための出発関係の規定
第二節 教育学と教授学の出発関係の規定についての諸研究
第三節 教授学的出発関係の規定の試み
第四節 教授学的認識と特に教科論的認識の実践可能な叙述
補説 クリングベルクの新しい教授理論構想について
第一節 教授におけを教えるものと「学ぶものの主体ポジション」の強調
第二節 旧西ドイツ教授学からの論評
第三節 旧東ドイツ教授学からの論評