雨森芳洲以前の対馬人と朝鮮語に関する研究
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序文
本論文の目的と構成
第1部 古代対馬人の周辺状況と多言語習得能力に関する研究
Ⅰ はじめに
Ⅱ 研究方法
Ⅲ 本論
第1章 縄文期より紀元前3世紀ごろまでの対馬人の多言語能力
1-1 紀元前3世紀ごろまでの対馬と周辺地域との関係
1-2 紀元前3世紀ごろまでの対馬人が使用していた言語
第2章 紀元前3世紀ごろから紀元3世紀ごろまでの古代対馬の言語
2-1 『後漢書』より
2-2 『三国志』より
2-2-1 「夫餘」の記載より
2-2-2 「高句麗」の記載より
2-2-3 「東沃沮」の記載より
2-2-4 「挹婁」の記載より
2-2-5 「濊」の記載より
2-2-6 「韓」の記載より
2-2-7 『後漢書』と『三国志』に記載されている朝鮮半島の状況を
まとめる
2-2-8 『三国志』「魏志倭人伝」の記載より
2-3 『後漢書』『三国志』の中から読みとれる紀元2世紀ごろの対馬人 の言語能力
第3章 対馬という名称から古代対馬人の言語能力を読み取る
3-1 古代の書物に記載された対馬の名称から対馬を検討する
3-2 『中国正史』に記載された主要な日本の地名、人名などの固有名 詞から古代対馬を検討する
3-3 対馬という名称から読める古代対馬人の言語能力
第4章 4世紀から10世紀の対馬の状況と対馬人の言語能力
4-1 この時期の大陸と日本に残された記録より対馬の状況を読む
4-2 平安時代の対馬と近隣地域の経済状況を示す記録から対馬を検 討する
4-3 7世紀に対馬より銀が産出されたが、『宋史』と日本の書物に残さ れたその銀に関する記載より対馬を検討する
4-4 周辺状況から推測できる4世紀から10世紀ごろの対馬人の言語 能力
4-4-1 対馬の人々に外国語能力がなくなっていたことが読みとれ る記録を示す
第5章 10世紀以後の対馬人の周辺状況と言語能力の変化
5-1 10世紀から11世紀の東アジアの変化と対馬の関係
5-2 対馬に残されている高麗からの輸入
5-3 11世紀以後の対馬人の言語能力
Ⅳ まとめ
注
第2部 平安時代後期の対馬人の朝鮮語能力の研究
Ⅰ はじめに
Ⅱ 研究方法
Ⅲ 本論
第1章 新羅末期の倭人(対馬人)の朝鮮語能力
第2章 無交渉時代
2-1 10世紀初の朝鮮半島(高麗王朝)と日本(朝廷・対馬)の関係
2-2 「物語」の中の高麗
2-3 鴻臚館での交易
2-4 無交渉時代の対馬の状況
2-5 無交渉時代のまとめ
第3章 飢餓難民と遭難者保護の時代
3-1 難民の高麗への移住
3-2 刀伊の入寇と拉致
3-3 遭難者の保護
第4章 朝貢の始まり
4-1 朝貢の記録
4-2 対馬からの朝貢
Ⅳ まとめ
第3部 14世紀末から、雨森芳洲が朝鮮語教育を始めるまでの、対馬人と朝 鮮語の関係について
Ⅰ はじめに
Ⅱ 先行研究と本研究の意義と研究方法
Ⅲ 古代から中世にかけての対馬人と朝鮮語の関係
Ⅳ 本論
第1章 三浦の乱までの倭館で生活していた倭人(対馬人)と朝鮮語の関係
1-1 向化倭人の朝鮮語能力について
1-1-1 高麗時代の向化倭人
1-1-2 朝鮮時代の向化倭人
1-2 恒居倭人の朝鮮語能力について
1-2-1 応永の外寇までの恒居倭人
1-2-2 応永の外寇後の倭人と倭館の関係
1-2-3 倭人と朝鮮人との交流再開
1-2-4 応永の外寇後の倭人の朝鮮語能力
1-2-5 新しい言語誕生の可能性
1-2-6 朝鮮語を理解しない渡鮮倭人の増加
1-2-7 朝鮮語が上達した倭人の記録
1-3 受職倭人の朝鮮語能力について
1-3-1 初期の受職倭人の能力
1-3-2 朝鮮語習得が不十分だった受職倭人
1-4 通事の記録から
1-4-1 朝鮮側の倭通事
1-4-2 日本側の朝鮮語通事
1-4-3 朝鮮人倭通事が関係した事件
1-4-4 倭人の朝鮮語通事が使用されなかった理由
1-5 三浦の乱までの倭寇の言語について
1-5-1 高麗末期の倭寇
1-5-2 応永の外寇前後の朝鮮人俘虜と倭人との会話
1-5-3 済州島人と倭寇の関係
1-5-4 朝鮮語能力の地域差
第2章 三浦の乱前後の倭人の朝鮮語能力について
2-1 三浦の乱前後の倭人と朝鮮語の関係について
2-1-1 乱直前の三浦の倭人とその社会
2-1-2 乱後の倭人
2-1-3 乱後の対馬島主の対応
2-1-4 浦所での倭人
2-2 三浦の乱後の倭寇
2-2-1 朝鮮語を話す倭寇
2-2-2 乱後の倭寇の構成員
第3章 『老松堂日本行録』に残された朝鮮語の記録
3-1 『老松堂日本行録』の主要な登場人物について、登場順にその語学 力について考察する
3-1-1 無涯亮倪
3-1-2 孔達 従事官(秘書官)
3-1-3 僧正祐(文渓)
3-1-4 尹仁甫(倭通事)
3-1-5 早田万戸三美多羅(早田左衛門太郎)
3-1-6 金元(押物)
3-1-7 表三甫羅(兵衛三郎)
3-1-8 平方吉久(陳吉久)
3-1-9 魏天(朝鮮語通事)
3-2 前述した登場人物以外の朝鮮語能力について
3-2-1 朝鮮で出会った使送倭人
3-2-2 俘虜の唐人
3-2-3 空寺の僧
3-2-4 博多の民衆
3-2-5 博多で出会った禅宗の僧
3-2-6 兵庫の代官と民衆
3-2-7 船軍通事李金
3-2-8 京都での外交交渉関係者
3-2-9 京都での滞在中に接した人々
3-2-10 帰路で出会った人々
第4章 室町幕府の朝鮮半島との外交と言語の関係
4-1 室町幕府と高麗との外交で使用された言語
4-1-1 高麗からの使者と言語
4-1-2 僧録と外交で使用された言語について
4-1-3 高麗朝廷での口頭での抗議
4-1-4 幕府の博多での外交能力
4-1-5 幕府の高麗語(朝鮮語)と中国語に対する考え方
4-1-6 幕府以外の有力者と高麗語(朝鮮語)の関係
4-1-7 室町時代の高麗語での会話について
4-2 室町幕府と朝鮮との外交で使用された言語
4-2-1 「鹿苑僧録」の誕生と言語
4-2-2 朝鮮との交易を始めた地方の有力者たちが外交で使用した 言語
4-2-3 明の冊封下での幕府の外交
4-2-4 通事黄奇の記録より
4-2-5 通事の身分
4-2-6 倭寇の言葉
第5章 文禄・慶長の役に関係した対馬人と朝鮮語について
5-1 朝鮮侵略計画における通事
5-1-1 侵略と言語に対する秀吉の考え
5-1-2 侵略計画と言語
5-2 朝鮮出兵時での通事
5-2-1 出兵時の禅僧通事
5-2-2 朝鮮半島での日本語
5-2-3 朝鮮語通事
5-2-4 朝鮮で降倭となり受職した朝鮮語通事
第6章 戦後の日朝交流の復活交渉と朝鮮語について
6-1 文禄・慶長の役の回避を求めるための交渉
6-1-1 文禄の役直前の対馬による出兵回避交渉
6-1-2 文禄の役を終わらせ、慶長の役を回避するための交渉と朝鮮 語通事
6-2 慶長の役後の外交交渉と通事
6-2-1 対馬による朝鮮との交易再開交渉の開始
6-2-2 俘虜の返還と朝鮮からの使者の来日
6-2-3 対馬からの外交団の語学力と倭館の再開
第7章 朝鮮通信使の再開と対馬藩接待役の朝鮮語能力について
7-1 朝鮮通信使再開と日本と朝鮮の言葉に対する考え方の相違
7-1-1 日本側の言葉に対する対応
7-1-2 朝鮮側の日本語通事
7-2 倭館の新しい住人と朝鮮語
7-2-1 絶影島の仮倭館
7-2-2 豆毛浦倭館(古倭館)での交流
7-2-3 草梁倭館
第8章 雨森芳洲が考えた理想の日朝外交について
8-1 雨森芳洲の対馬藩仕官
8-1-1 江戸から長崎へ
8-1-2 対馬から再び長崎へ
8-1-3 釜山に渡る
8-1-4 二度目の釜山
8-2 雨森芳洲の朝鮮習得
8-2-1 朝鮮語学習の開始
8-2-2 朝鮮での芳洲の朝鮮語学習
8-2-3 朝鮮人通事の日本語学習について
8-3 雨森芳洲が対馬で行った朝鮮語教育
8-3-1 雨森芳洲と『倭語類解』
8-3-2 対馬藩での雨森芳洲の朝鮮語教育の始まり
8-3-3 雨森芳洲の朝鮮語教育
第9章 対馬藩以外の通事について
9-1 長崎の通事について
9-2 薩摩藩での朝鮮語通事について
Ⅴまとめ
結語
おわりに
参考資料と参考文献
参考学術資料
あとがき