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思春期問題としての不登校

自我体験に関する現象学的解明を手がかりとして

定価: 7,150 (本体 6,500 円+税)

理由のわからない不登校の背後にあるのは,思春期の「自我体験」である。この体験の深い意味は何か?サルトル『存在と無』の存在論的哲学によって明らかにする。

【著者略歴】
加藤 誠之(かとう まさゆき)

1968年神奈川県生まれ。東京大学教育学部卒業。
東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。
同研究科博士課程を満期退学後,法務省を経て高知大学教育学部に赴任。
法務省では法務教官・保護観察官等として少年院・保護観察所等に勤務。
博士(教育学)。
目次を表示します。
はじめに

第1章 不登校に関する各種の先行研究
 第1節 不登校をめぐる1960年代の状況
  第1項 我が国の不登校研究の始まり
  第2項 不登校の原因論―分離不安論と自己像論―
  第3項 自己像論の利点と問題点
  第4項 不登校の分類論
 第2節 不登校をめぐる1970年代~1980年代の状況
  第1項 不登校に関する個人病理主義の行き詰まり
  第2項 不登校研究の非-医学化
  第3項 不登校に関する社会病理主義(その1)
      ―正常な反応としての不登校―
  第4項 不登校に関する社会病理主義(その2)
      ―不登校児童・生徒の罪責感―
  第5項 社会病理主義の進展
      ―戸塚ヨットスクール事件と民間自助グループ―
  第6項 竹内常一の「内なる他者」論
 第3節 不登校をめぐる1990年代以降の状況
  第1項 1990年代の不登校肯定論
  第2項 「登校拒否」から「不登校」への変遷
  第3項 不登校と「社会的引きこもり」
  第4項 貧困と不登校
  第5項 不登校に関する当事者主義的研究

第2章 不登校に関する現象学的な先行研究
 第1節 不登校に関する生越達の考察(その1)
     ―不登校児童・生徒の気分―
 第2節 不登校に関する生越達の考察(その2)
     ―不登校児童・生徒の気分―
 第3節 不登校に関する生越達の考察(その3)
     ―不登校児童・生徒と世間―
 第4節 サルトルの思索に基づく不登校研究の必要性

第3章 『存在と無』に見るサルトルの思索
 第1節  対自存在と即自存在
  第1項 対自存在の存在様式―定立的意識と非定立的意識―
  第2項 即自存在の存在様式
 第2節 対自存在の超出と即自存在の道具性
 第3節 対自存在の無化作用及び無化作用に由来する諸性格
  第1項 対自存在の無化作用
  第2項 無化作用に由来する対自存在の自由と不安
 第4節 無化作用に由来する対自存在の時間性
  第1項 過去と未来
  第2項 自らの時間化
 第5節 反省作用によって自らの生をとらえることの限界

第4章 サルトルの思索に基づく自我体験の解明
 第1節 自我体験に関する先行研究
  第1項 自我体験に関する先駆的な研究
  第2項 自我体験に関する最近の研究
 第2節 自我体験を迎えるよりも前の子どもたちの在り方
  第1項 事実性としての身体
  第2項 黙過される身体
  第3項 世界と一体化した身体
 第3節 自我体験の諸相(その1)―対自存在の成立―
  第1項 意識と身体との分離
  第2項 反省的意識-時間的意識の成立
  第3項 自分の存在の偶然性についての自覚
 第4節 自我体験の諸相(その2)―対他存在の成立―
  第1項 対他的身体の成立
  第2項 理念的・一般的な他者の出現
  第3項 他有化された世界の出現

第5章 不登校児童・生徒に対する教師のかかわり
 第1節 不登校児童・生徒の「自分の存在を持て余す辛さ」
  第1項 不登校児童・生徒の「自分の自由を持て余す辛さ」
  第2項 不登校児童・生徒の「自分の身体を持て余す辛さ」
  第3項 不登校児童・生徒に対する教師のかかわり
      ―尽力的顧慮と垂範的顧慮―
 第2節 事例研究(その1)
     ―不登校児童・生徒に対する教師の尽力的顧慮―
  第1項 Gさんに対するH先生のかかわり
  第2項 Gさんの置かれていた状況
  第3項 Gさんに対するH先生の尽力的顧慮
 第3節 事例研究(その2)
     ―不登校児童・生徒に対する教師の垂範的顧慮―
  第1項 Jさんに対するI先生のかかわり
  第2項 Jさんの体験していた辛さ
  第3項 Jさんに対するI先生の垂範的顧慮

第6章 世界との慣れ親しみを取り戻そうとする不登校児童・生徒の試み
 第1節 他有化を拒否する不登校児童・生徒の試み
     ―引きこもりと家庭内暴力―
  第1項 他有化を拒否する試みとしての引きこもり
  第2項 「対象-我々」意識と「主体-我々」意識
  第3項 他者を我有化する試みとしての家庭内暴力
 第2節 他有化を受け入れる不登校児童・生徒の試み
 第3節 不登校児童・生徒にとっての「よい子」の在り方
 第4節 「よい子」の在り方に由来する辛さ

第7章 事例研究―不登校児童・生徒の逸脱的な遊び―
 第1節 「よい子」の在り方を乗り越える試みとしての逸脱的な遊び
 第2節 事例研究―逸脱的な遊びを受容されることの意味―
  第1項 K君の罪責感
  第2項 K君の罪責感の由来
  第3項 罪責感を乗り越えようとするK君の試み
 第3節 不登校児童・生徒とヤンチャな生徒とのかかわり

第8章 不登校と非行
    ―遊びに関するサルトルの思索を導きの糸として―
 第1節 はじめに―非行に関する先行研究―
 第2節 非行に関する先行研究(その1)―緊張理論―
  第1項  緊張理論の概要
  第2項 緊張理論の問題点
 第3節 非行に関する先行研究(その2)―コントロール理論―
  第1項 愛着・社会上の投資・巻き込み
  第2項 規範意識と「中和の技術」
 第4節 非行に関する先行研究(その3)―文化的逸脱理論―
 第5節 非行に関する先行研究(その4)―ラベリング理論―
 第6節 自由を追求する遊びとしての非行
 第7節 遊びと非行―遊びに関するサルトルの思索を導きの糸として―
  第1項 「生まじめな精神」の否定としての非行
  第2項 遊びとしての非行の限界
  第3項 非行を卒業するとき
      ―非行少年にとっての「子ども時代」の終わり―
 第8節 思春期・青春期における逸脱的な遊びの必要性

第9章 事例研究―X高校の不登校経験者の遊び―   
 第1節 X高校の「よい子」とヤンチャな生徒
 第2節 X高校の不登校経験を持つ生徒の在り方
     ―自由を封印する「よい子」―
 第3節 X高校のヤンチャな生徒の在り方―自由を主張する遊び―
 第4節 X高校の不登校経験を持つ生徒の受容
     ―「よい子」からの解放―
おわりに

初出一覧
後記
索引
著者加藤誠之 著
発行年月日2020年10月15日
頁数190頁
判型 A5
ISBNコード978-4-7599-2342-1