近現代日本教員史研究
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はしがき(船寄俊雄)
序章 歴史のなかの教師像をどう描くか(船寄俊雄)
一 本書がめざす教師像―「二〇〇九年型教職観」と「知の足腰の強い教職観」
二 教師像のとらえ方と近現代日本教員史の構想
三 本書の構成と概要
第一章 「啓蒙」の時代と教師――師匠から教員へ
第一節 「小学校教師というしごと」の誕生(釜田史)
一 啓蒙期の小学校教師
二 「小学教師心得」における小学校教師像
三 諸葛信澄『小学教師必携』にみる小学校教師像
四 伊東忍「授業日記」にみる明治初年の教職意識
第二節 一八八〇年代前半における小学校教師像の特質(釜田史)
一 一八八〇年代前半における教員政策の転換
二 「教員制限訓条法」における小学校教師像
三 「小学校教員心得」における小学校教師像
四 福沢諭吉『徳育如何』における小学校教師像
第二章 国家の規範と教職意識
第一節 森有礼の教師聖職者論(遠藤健治)
一 明治前期教育史研究史上における森有礼の位置づけとその教育思想
二 森有礼の教師論における「教職の専門性論」とその教育観
三 森有礼の三気質と制定までの変遷
四 森有礼の特色ある師範学校教育と国民の模範としての教師の養成
第二節 教師聖職者論とその後の展開(遠藤健治)
一 井上毅の教師論
二 沢柳政太郎の教師論
第三章 小学校教師像の再定位
第一節 教育雑誌『日本之小学教師』にみる教職意識(樫下達也)
一 教員向け教育雑誌の教員史研究上の位置づけ
二 『日本之小学教師』の書誌的研究
三 『日本之小学教師』主幹多田房之輔の教職意識
四 記事内容と執筆者の分析
五 教員史における『日本之小学教師』の意味
第二節 教師像の再定位(釜田史)
一 加藤末吉の位置づけをめぐって
ニ 加藤末吉とはどのような人物か
三 「教様」という概念
四 「教える必要によって学ぶ」小学校教師像
第三節 明治社会主義者石川三四郎と教師のしごと(小田義隆)
一 明治社会主義者を取り扱う意義
二 明治社会主義者と「社会改良」
三 社会主義者たちの教師像
四 「小学教師に告ぐ」にみる石川三四郎の教職意識
五 石川三四郎が教師のしごとに与えた影響の教育史的意味
第四章 教師における人間と制度
第一節 修養論と教職意識(小笠原拓)
一 大正期における教員制度の完成と修養論の役割
二 「修養論」の誕生とその変容
三 稲毛詛風の「小学教師」批判
四 芦田恵之助『綴り方教授に関する教師の修養」の可能性と限界
五 修養論がもたらす「教職意識の内面化」と現代の「子ども観」
第二節 教師における人間の探究(小笠原拓)
一 国家という規範とその超克
二 三浦修吾『学校教師論』にみる「居直りの論理」の実際
三 志垣寛『教育教授の没落』における学習者観
四 戦前期における教職意識の脆弱さの正体とは
第三節 白樺派教師における人間と制度(大﨑裕子)
一 赤羽王郎の芸術への憧憬
二 白樺教育における赤羽
三 赤羽の学校観と教育観
第四節 女性教師にとっての人間と制度(宇賀神一)
一 女性と職業―女性教師の登場
二 本節の分析視点―戦前期における女性教師の「像」と河内いね
三 明治・大正期における教職意識の形成
四 上京と視野の拡大―教室から社会へ
五 「女教員残酷物語」を超える河内いねの物語
第五章 教師の労働者性の自覚と教職意識の深まり
第一節 労働者としての自覚と教職意識(惟任泰裕)
一 なぜ上田庄三郎を取りあげるのか
二 上田庄三郎における自己形成と問題意識
三 自由教育の挫折と教師像の転換
四 教師の労働者性の教員史的意義
第二節 授業づくりをめぐる教職意識――戦前期学年別教育雑誌の登場と意味(樫下達也)
一 教材・教具論の歴史と戦前期学年別教育雑誌
二 戦前期の学年別教育雑誌の世界と雑誌『教材王国』
三 『教材王国』主幹奥野庄太郎とその教職意識
四 『教材王国』にみる学年別教育雑誌の意義
五 学年別教育雑誌の意義と限界
第三節 教育実践の探究(惟任泰裕)
一 なぜ斎藤喜博を取りあげるのか
二 教職意識の中核となる教育実践の認識
三 教育実践をめぐる子供と国家の認識
四 自己認識の二面性と教職意識
第六章 戦時下の教師たち
第一節 植民地と教師(丸山剛史)
一 「植民地と教師」への視角
二 「植民地と教師」についての概説
三 教師たちの植民地意識―代表例としての野口援太郎の場合
四 植民地日本人教師の群像
五 相対する二つのタイプの教師たちの植民地認識の相違
第二節 教師の思想改造(野邑理栄子)
一 「治安維持法」下の教師への視点
二 「小学校教員の思想事件」と主な対応策の概要
三 兵庫県御影師範学校附属小学校における思想対策
第七章 教師像の模索と再生・創造
第一節 国家規範の後退と民主的教師像の模索(松本和寿)
一 教育行政の民主化と教師像刷新
二 敗戦を迎えた教師の意識
三 教育民主化の諸施策と教員の意識
四 転換期に生きた教員
第二節 教師の労働者性の承認(久保富三夫)
一 本節の課題と接近の方法
二 戦後法制における「労働者性の承認」
三 日教組結成過程における「労働者性の承認」
四 「教師の倫理綱領」と「労働者性の承認」
五 「労働者性の承認」と進展と停滞
第三節 教師の戦争責任をどう考えるか(齋木喜美子)
一 戦後教師像刷新の動向と教師の戦争責任
二 外的要因による教師の戦争責任追及
三 教師自らの戦争責任の自覚と動向
四 内的要因による教師の戦争責任追及
五 教師の戦争責任の取り方
六 学び続ける主体として生きる教師
第八章 「逆コース」と教師の自由を求める教師たち
第一節 日教組教研に集う教師たち(久保富三夫)
一 本節の対象と課題
二 初期教研を教師はどう受け止めたのか
三 教研活動を通じての教師の成長
四 婦人教員研究協議会と初期教研
五 初期教研が教職意識に与えたもの
第二節 教科書検定の強化と教師たち(松本和寿)
一 教員の「教える自由」
二 「教える自由」と教科書裁判
三 教科書裁判の証言者
四 青木一の証言から
第三節 民間教育研究サークルのなかで鍛えられる教職意識(上田孝俊)
一 小学校教師・山本正次の実践ノートとの出会い
二 多様な教師との出会いと教職意識の変化
三 綴方教育実践による子どもの生活世界への接近と子どもの学びへの着目
四 学校づくりにおける教師間連携と保護者との「共同」意識
五 教師の変容につながる教師の「綴り」
第四節 勤評闘争と教師たち(久保富三夫)
一 本節の課題
二 勤評政策のねらい
三 勤評闘争のなかの教師たち
四 闘争意志の源泉
五 勤評闘争から教師たちは何を学んだのか
六 勤評闘争が「遺した」もの
第九章 高度経済成長下の競争主義的教育を超克する教師たち
第一節 「落ちこぼし」教育政策に対抗する教師――一九七〇年代の教育界―(宇賀神一)
一 本節の課題―高度経済成長期の教師のしごとをめぐって
二 一九六〇年代―「落ちこぼし」揺籃期における教職意識
三 「学習ノート」にみる一九七〇年代の教職意識
四 一九七〇年代における岸本裕史の到達点
第二節 「管理」のあり方を模索した教師――能重真作の教育実践と教師像(戸村理)
一 戦後学校教育における少年非行
二 能重真作の経歴と中学校教師としての成長
三 実践記録の考察
四 能重真作の教育実践の特徴
五 能重真作にみられる教師像―教師の役割
第三節 人間発達概念の深まりと教職意識(亀澤朋恵)
一 「教育の原点」
二 青木嗣夫のライフコース―教職意識の形成過程
三 青木嗣夫の教職意識
第一〇章 新自由主義教育を超克する教師たち
第一節 新自由主義教育が求める教師像と教育現場(福井雅英)
一 新自由主義がもたらした苦難の様相
二 二〇二〇年の教育現場の現実と教師たち
三 新自由主義教育が求める教師像
四 新自由主義教育に対抗する教師像
第二節 「子どもをつかむ」という教師の教育観が示すこと(福井雅英)
一 「子どもをつかむ」という教育観の発生と教育実践の展開
二 子どもの生活をつかむ実践と教師の自己形成
三 「いっしょに生きようぜ」と呼びかける教育観の意味―金森俊朗のしごと―
第三節 保護者とともに地域をつくる教師のしごと―教師の地域認識の変化と教職意識(福井雅英)
一 現代における「地域と教育」
二 危機のなかの教師のしごととと教職意識―東日本大震災と徳水博志
三 「復興教育」の実践構想とその哲学
四 新自由主義教育と対抗しそれを乗り越える教師像
津田八洲男・金森俊朗・徳水博志 著作目録(蓑毛智樹)
終章 展望 歴史のなかの教師像(船寄俊雄)
一 近現代日本教員史概説
二 「知の足腰の強い教職観」と教育史的教養―「二〇〇九年型教職観」の超克をめざして
近現代日本教員史年表(笹山正信・樫下達也・宇賀神一・釜田史)
あとがき(釜田史・樫下達也・宇賀神一)
索引