ハンセン病者が生きた美しき島 大島
自然と語り対話する哲学者 脇林 清の半生と写真集
定価:
2,970
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2,700
円+税)
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大島の自然(脇林 清 撮影)
天の恵みは生命自らが受け 生命自らが与える
海辺を生きる
巣立ち
ひかり(神)の御手の中の花々
祈り
瀬戸の海
脇林 清のライフレビュー
第1章 戦時下を生きる
Ⅰ.幼少期と少年時代
1.末っ子として生を受ける
2.自我の芽生え
3.少年時代
3-1.山での思い出
3-2.悪いことに拍手喝采
3-3.勉学
3-4.母と宗教・兄姉
Ⅱ.航空廠へ
1.軍需工場(学徒動員)
1-1.皇室を敬う教育
1-2.毒ガス工場(多くの若者の死がピンと来ない)
1-3.軍需工場でも遊びを見出す
2.航空廠へ
2-1.飛行機乗りへのあこがれ、命を奪う行為とは思い至らず
2-2.兄を追いかけて呉の海軍工廠へ(制服へのあこがれ)
Ⅲ.空襲による仲間の死・道が分かれた
1.逃げ足の速さは若さの特権
2.空襲
2-1.隧道
2-2.多くの仲間の死・道が分かれた(火葬される者と火葬する者)
第2章 ハンセン病と分かり、故郷を去る
Ⅳ.ハンセン病と知った絶望
1.ハンセン病と分かる
1-1.原爆で夫を亡くした身重な姉の手伝い
1-2.父がハンセン病だった
1-3.最初は斑紋、軍病院で指摘されず
1-4.納屋に積み上げられた情報誌からハンセン病と気づく
1-5.脱肉
2.ハンセン病と分かった時
2-1.動けなくなる兆し
2-2.人生は終わった
2-3.結核の女の子の自殺
2-4.父と同じ病気の怖さ:社会の中で生き延びることは難しい・父の自殺
2-5.自殺を願うのは絶望感
2-6.遍路をしてでも生きたい
2-7.覚悟の上で家を出たので、その後、母とは会わず
3.居るべき所にいられない苦しみ
3-1.村を出る
3-2.絶対的圧力の前では拒否できない
3-3.自殺者の記録が残っていない
3-4.居るべき所に居れない苦しみ
3-5.嬉しいものを見い出す目は残っていた
Ⅴ.分けることの怖さ
1.昭和一桁代の激しい差別
1-1.鉄線柵・伝馬船・有毒無毒境界線
1-2.「俱ともに天を戴いただかず」、それほどまでの極悪人
2.切り離される痛み
2-1.自殺・脱走・罪人のように連れ戻される
2-2.家族から引き離される苦しみ、共に生きる喜びを奪われる苦しみ
3.初期の記録を残すことの重要さ
第3章 強制隔離政策の本質を写真に納め、後世に託す
Ⅵ.カメラで強制隔離政策を残す
1.強制隔離政策下で人がどう扱われたのかを残す必要性
2.最初が全てを物語る
3.私とあなたの関係が基本、手を携える関係が築けなかった、
人生を抹殺した
4.排他性を丸出しでやった
5.私とあなたの関係性の中での私の責任
6.キリスト教への入信
7.写真を残した先人たちは、本質の理解を後世の人に託した
Ⅶ.故郷への思慕
1.妻の実家との交流
2.実家を訪ね、旧友らの足跡を問う
3.故郷には誰もいなくなってしまった
4.乗車拒否を意に介しない程、電気工事に携わりたい強い意志
第4章 瀬戸の離島 大島で見出した生きがい
Ⅷ.電気工事と鶏との暮らし
1.電気工事は使命
2.鶏との暮らし
Ⅸ.大島の自然を撮る
1.70歳を越えてカメラに魅せられる
2.雲を追い、花や昆虫と対話する
3.被写体が呼びかけてくる
4.大島を体感してほしい
Ⅹ.哲学的な言葉
1.本物とは何か
2.赦し
3.自然であれ
4.美とは何か
5.聖人
6.命のある言葉
解説
岡山大学 学術研究院 ヘルスシステム統合科学学域 教授・哲学者 出村和彦
出版に添えて
1 全国ハンセン病療養所入所者協議会 会長/国立療養所 大島青松園
入所者自治会 会長 森 和男
2 国立療養所 大島青松園 園長 岡野美子
3 国立療養所 大島青松園 総看護師長 土居明美
編集後記(出版の意図と目的)
ハンセン病倫理研究会/香川県立保健医療大学 近藤真紀子、岡西幸恵