「語る子ども」としてのヤングアダルト
現代日本児童文学におけるヤングアダルト文学のもつ可能性
定価:
4,950
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4,500
円+税)
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序章 現代児童文学としてのヤングアダルト文学
一、日本におけるヤングアダルト文学研究の現状
二、「タブーの崩壊」とヤングアダルト文学との関連性
三、現代児童文学としてのヤングアダルト文学の展開
四、本書の構成
第一章 子どもは語ることができるか―「異文化としての子ども」から「語る子ども」へ
一、「異文化としての子ども」を語る所在の曖昧さ
二、「異文化」化による区分の固定化
三、「大人並み」ではない視点での語り
四、「語りえない子どもについて、子どもの視点で語る」のは誰か
五、「翻訳のパフォーマティヴィティ」が示唆する「語る子ども」の可能性
第二章 「語る子ども」として生き延びる可能性―「大人になる」ことと主体化=服従化
一、主体化=服従化としての「大人になる」ことの問題
二、主体化=服従化によるエンパワメントの限界
三、主体化=服従化を超出する行為能力
四、責任=応答可能性に基づく語り
⑴ 二者関係への着目
⑵ 特異性と責任=応答可能性
五、「語る子ども」として生き延びること
第三章 忘却される「大人になる」ことへの抗い―梨木香歩『西の魔女が死んだ』
一、「大人になる」ことを問う構成
⑴ 一般的な主体形成のオルタナティヴとしての「魔女修行」
⑵ オルタナティヴとしての「魔女修行」自体を問う構成
⑶ 「魔女修行」が伴う語る力の不均衡
二、「大人になる」ことを問う力の行方
⑴ 「魔女」の規範を超え出る愛の追求
⑵ 語る力の不均衡を介した愛の可能性の忘却
⑶ 忘却を支える生存への欲望
三、「大人になる」ことへの問いの持続可能性
⑴ 成長の名の下での問題の個人化
⑵ 個人化を超え出る語りの可能性
⑶ 忘却の内に捉えられる「語る子ども」の可能性
第四章 「大人になる」ことの困難、子どもとして語る困難―岩瀬成子『もうちょっとだけ子どもでいよう』
一、「大人になる」ことの困難と語る力の問題
⑴ 規範意識と実際の行為との乖離
⑵ 「大人になる」ことへの懐疑
⑶ 自分自身を説明することの困難
⑷ 不均衡な語る力の割り振り
二、「語りえない子ども」の語る力の所在
⑴ 免責と相関した声の無価値化
⑵ 語る力の所在を示唆する死の可能性
⑶ 「語る子ども」としてヤングアダルトを捉える視野
三、「語る子ども」としての語りを支える責任=応答可能性
四、「翻訳のパフォーマティヴィティ」がもたらす語りの可能性
第五章 「語る子ども」としての「サバイバル」―梨屋アリエ『スリースターズ』
一、「語る子ども」としての力の獲得の必要性
⑴ 「ネグレクト状態」の「サバイバル」という問題設定
⑵ 存在可能性を賭けた語る力の獲得の問題
二、否認された存在可能性の忘却
⑴ 存在可能性の希求と断念
⑵ 三咲季自身の可能性とともに忘却される弥生
三、抵抗する語りにおける否認行為の反復
⑴ 否認による死の恐怖と承認による行為能力の獲得
⑵ 再分断による否認行為の反復
四、責任=応答可能性に基づく承認可能性の模索
⑴ 二者関係への焦点化と否認への気づき
⑵ 承認の基盤としての責任=応答可能性
五、「語る子ども」の可能性をもたらすスリースターズの差異と「翻訳」
第六章 「語る子ども」としての語りの展開―いしいしんじ『麦ふみクーツェ』
一、ヤングアダルト文学としての『麦ふみクーツェ』
⑴ いしいしんじ作品のもつ「攪乱」性
⑵ 『麦ふみクーツェ』における「大人になる」ことへの問い
二、自分自身を承認する困難
⑴ 大きな身体の否定
⑵ クーツェの暗示する構築性への問い
三、行為能力への問い
⑴ 承認にかかわる行為能力の問題
⑵ おじいちゃんによる構築を問う必要
⑶ 用務員さんによる行為能力の示唆と放棄
⑷ 未知のものへの責任=応答可能性
四、特異性としての存在理解
⑴ 責任=応答可能性の基盤としての聞きとる行為
⑵ 聞きとる行為がもたらす特異性への意識
五、「翻訳のパフォーマティヴィティ」を通じた語りの展開
⑴ 翻訳行為への着目
⑵ 特異性のもたらす「翻訳のパフォーマティヴィティ」の必要性
⑶ 責任=応答可能性に基づく「翻訳のパフォーマティヴィティ」
六、「翻訳のパフォーマティヴィティ」によって「語る子ども」
終章 「語る子ども」の形象がもたらすもの
参考文献
あとがき