清朝皇帝とモンゴル僧
清朝前期のモンゴル統治と仏教政策
定価:
6,600
円(本体
6,000
円+税)
- 目次を表示します。
-
序論
五台山巡幸において表出したもの
研究史と史料について
ハーンとラマ―清朝皇帝に内在する権威―
はじめに
第一節 清朝皇帝によるチベット仏教の受容
第二節 フビライの事績と仏教権威
第三節 モンゴル世界における新しいハーン権力
第四節 ハーン権力と清朝皇帝
小結
序論 註
第一部 清朝興隆期における諸勢力の動向と「ラマ」
第一章 明代・清初の佟氏一族―清朝宗室の母系氏族―
はじめに
第一節 明朝の満洲経略と「佟佳地方佟佳氏」の祖ダルハン・トゥメト
第二節 撫順佟氏一族と遼東地方におけるヌルハチの台頭
第三節 遼陽における佟養性の紅衣砲製造
小結
第二章 ホルチン・モンゴルから来た仏教僧ダルハン・ナンソ
―マンジュ国におけるチベット仏教のルーツ―
はじめに
第一節 ノン・ホルチンの発足
第二節 ノン・ホルチン傍系一族の居住地
第三節 ハタン・バートルの所在とサハルチャの存在
小結
第三章 対モンゴル用間工作と「ラマ」
はじめに
第一節 対マンジュ国戦における明朝の劣勢とハラチン・モンゴルへの工作
第二節 ワン・ラマ登用の意義と内ハルハ・ホンギラトへの工作
第三節 「寧綿大捷」に導いた対チャハル工作
第四章 「ラマの派遣」に見る明清双方の動向
第一節 リー・ラマによるマンジュ国訪問およびバーリンとジャルートの状況
第二節 リー・ラマがマンジュ国に派遣された目的
第三節 書簡による明清和平交渉
第五章 ヌルハチにとっての「ラマ」、ホンタイジにとっての「ラマ」
―ダルハン・ナンソとバ・ラマの場合―
第一節 バヨトとオジエトの動向にみるマンジュ国ハンの権力について
一-一 バヨト
一-二 オジエト
第二節 「ラマ」の介入にみるマンジュ国ハンの権限
第三節 マンジュ国ハンにとっての「ラマ」
第四節 統治者におけるチベット仏教導入の意義
第五節 マンジュ国における「ラマ」登用の分岐点
第一部のまとめ
第一部 註
第二部 モンゴルにおける仏教権威の誕生
第一章 ハルハにおける新しい「ハーン」とチベット仏教の受容
―アバタイの「金剛(včir)ハーン」を中心に―
はじめに
第一節 アバタイのハーン号
第二節 ハルハに入ったチベット仏教僧
第三節 初期エルデニ・ジョーの様相
小結
第二章 ジェブツンダンパ像の変遷と十七世紀のハルハ情勢
はじめに
第一節 清朝の史料に現れたジェブツンダンパ像
―クレーンベルチルの会盟とガルダンによるハルハ侵入―
第二節 先行研究におけるジェブツンダンパ像
第三節 『ジェブツンダンパ伝』にみるジェブツンダンパ像
第四節 ザヤ・パンディタが伝えたジェブツンダンパ像
小結
第三章 清朝とジューンガルの戦いで浮上したジェブツンダンパの転生問題
第一節 抗争にいたる経緯
第二節 康熙帝とジェブツンダンパ
第三節 「ジャムヤン・トゥルク」としてのジェブツンダンパ
第四節 タクテン・プンツォクリンの改宗および修復とタシルンポ僧院の存在
小結
第二部のまとめ
第二部 註
第三部 諸統治政策を可能にした清朝皇帝の権威
第一章 バートル・エルヘ・ジノンの動向とアラシャン・ホシュートの形成
はじめに
第一節 アラシャン安置に至るバートル・ジノンへの対処
第二節 バートル・ジノンの報告とガルダンによるハルハ侵入の状況
第三節 バートル・ジノンの青海移住案と康熙帝による統治政策の実践
小結
第二章 康熙帝による五台山「修建」―チベット仏教への改宗過程―
はじめに
第一節 『清涼山志』および先行研究における清朝皇帝による五台山事績
第二節 五台山におけるチベット仏教寺院
二- 一 菩薩頂
二- 二 羅睺寺
二- 三 台麓寺
二- 四 寿寧寺
二- 五 涌泉寺
小結
第三章 清朝のチベット仏教事業の変遷―チャンキャ二世の「国師」登用の意義―
はじめに
第一節 清朝の対モンゴル・チベット政策におけるチャンキャ二世の台頭(~一七〇〇年)
一- 一 チャンキャ二世の出自について
一- 二 チャンキャ二世の北京「來朝」の経緯
一- 三 チャンキャ二世の清朝における事績ー辺境政策とラサ遣使ー
第二節 「国師」チャンキャ二世となるまでの事績(一七〇〇年~)
二- 一 チャンキャ二世による五台山事績の検証
二- 二 モンゴル諸集団への灌頂授与の意義
二- 三 ドロンノール彙宗寺の興隆と「国師」号の授与
小結
第三部のまとめ
第三部 註
結論
史料・文献一覧
あとがき
索引(人名索引・事項索引)