博士論文・心理学・教育学など書籍・学術出版社|(株)風間書房

明治20・30年代における就学年齢の根拠に関する研究

三島通良の所論をめぐって

定価: 7,150 (本体 6,500 円+税)
日本における6歳就学の根拠についての歴史研究。明治20・30年代の三島通良の所論に焦点をあて、就学する子どもの成長・発育へのまなざしに注目し論ずる。

【著者略歴】
近藤幹生(こんどう みきお)
1953年生まれ。
信州大学教育学部卒業。聖徳大学大学院博士課程修了。博士(児童学)。
現在、白梅学園短期大学保育科准教授。

26年間、保育士・園長を経験。長野県短期大学幼児教育学科専任講師・同短大付属幼稚園(兼務)を経て、2007年より現職。
目次を表示します。
はじめに―6歳就学問題を論ずる今日的意義―
本書の構成と先行研究
序章 就学年齢6歳の根拠をさぐる
  1.就学課題についての研究角度
  2.小学校への就学年齢の変遷
  3.就学年齢の根拠にかかわる先行研究
  4.筑摩県教育史を研究対象とする論理
第1章 明治初期の就学年齢の根拠に関する議論
 本章の課題
 第1節 明治初期の筑摩県における就学年齢
  1.筑摩県の「学制」前史における庶民教育の蓄積と就学年齢
  2.「学制」第一番校「開智学校」
  3.筑摩県令が中心にすすめた「学制」実施
  4.資料にみる就学年齢
  5.本節のまとめ 筑摩県における就学年齢
 第2節 文部省での「学制」審議と就学年齢
  1.明治初期、「学制」以前の諸規程にみる就学年齢
  2.諸外国教育制度の影響と日本の「学制」
  3.「学制」作成と就学年齢
  4.「学制」審議過程の特徴
  5.「学制」審議過程と就学年齢の検討
  6.6歳就学に関する指摘の検討
  7.森有礼の論文「日本の教育」(Education in Japan 1873)における就学年齢の根拠
  8.本節のまとめ 文部省の「学制」審議過程と就学年齢
 本章の総括
  1.「学制」後におきた就学年齢における混乱
  2.資料調査結果の結論と課題
第2章 日本における学校衛生学の導入と明治20・30年代の就学年齢の議論
 本章の課題
 先行研究及び調査文献
 第1節 小学校における学齢未満幼児たちの在籍
 第2節 学齢未満児の就学禁止通達の比較
  1.1884(明治17)年2月15日達第3号及び1896(明治29)年8月17日文部省訓令第六号
  2.明治17年通達と明治29年通達の比較検討
 第3節 明治期の学校衛生学と明治29年通達
  1.明治期の学校衛生学
  2.明治10年代における学校衛生に関する認識
  3.学校衛生を導入する明治20年代の文部省
  4.学校衛生顧問会議の新設と学校衛生の位置づけ
 第4節 文部省の就学年齢・就学課題への認識
  1.学校衛生環境としての机・腰掛等に対する見解
  2.小学校・幼稚園の調査と就学年齢・就学課題への認識と主張
  3.第三回学校衛生顧問会議―1896(明治29)年7月1日―の議論
 第5節 第三次小学校令と学校衛生
  1.最大の改正内容としての学校衛生関係
  2.就学年齢6歳の厳密化に関する検討経過
  3.就学義務猶予・休憩時間等の課題
  4.第三次小学校令と三島の6歳就学論
 本章の総括
第3章 三島の育児書『ははのつとめ』における家庭育児観
 本章の課題
 『ははのつとめ』及び家庭育児観に関する先行研究
 第1節 家庭育児観と仮説提示
 第2節 『ははのつとめ』にみる家庭育児観
  1.全体の構成と執筆目的
  2.小児教養法にみる家庭育児観―乳児から就学まで
 第3節 学校衛生学と家庭育児観―就学年齢論における位置づけ
  1.学校衛生学の要素と内容
  2.就学年齢論の位置づけ
  3.小児教養法と学校衛生
 第4節 三島の家庭育児観の背景
  1.明治初期の幼児教育・育児思想の展開
  2.三島の立場と家庭育児観
 本章の総括―家庭育児観を土台とした就学年齢論―
第4章 三島通良の6歳就学論に関する検討
 本章の課題
  1.先行研究と三島『学制調査資料・就学年齢問題』
  2.『就学年齢問題』の目的と満7歳就学論
  3.世界における就学年齢(当時の実態)と満6歳就学
  4.ドイツ諸学者の就学年齢に関する見解
  5.身体発育調査結果及び欧米との比較検討
  6.三島の6歳就学論の結論
 本章の総括
第5章 明治20・30年代における教育雑誌にみる就学年齢の議論
 本章の課題
 第1節 先行研究と主題
  1.先行研究
  2.主題と研究対象
 第2節 『教育時論』主筆・湯本による議論の呼びかけと7歳就学論
  1.湯本による議論の呼びかけ
  2.就学を急ぐことへの弊害
  3.明治29年『教育時論』にみる7歳就学論
 第3節 明治30年・明治31年の『教育時論』にみる7歳就学論と6歳就学論
  1.明治30年以降の7歳就学論
  2.6歳就学論者の議論内容
 第4節 湯本の7歳就学論と澤柳政太郎との論争
  1.湯本の7歳就学論
  2.文部省普通学務局長・澤柳政太郎と湯本の論争
 第5節 小松定市「児童の入学年齢に就いて」―1901(明治34)年にみる6歳就学論
 本章の総括
終章 三島の所論が果たした役割―『雑誌信濃教育』にみる学校衛生学の知見と就学年齢の議論―
 本章の課題
  1.『雑誌信濃教育』の記述からみた学校衛生学の導入
  2.明治20年代の子守学校における乳幼児・児童
  3.三島『ははのつとめ』と中村多重
  4.『雑誌信濃教育』における三島の知見
  5.『雑誌信濃教育』にみる就学年齢の議論―6歳就学論を中心として―
 本章の総括
研究の結論
あとがき
コメント
著者近藤幹生 著
発行年月日2010年03月31日
頁数170頁
判型 A5
ISBNコード978-4-7599-1787-1