『赤い鳥』と生活綴方教育
宮崎の児童詩と綴方
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はじめに
第一章 宮崎県における『赤い鳥』児童自由詩の展開
一 『赤い鳥』童謡からの出発
二 『赤い鳥』における童謡の募集
(一)最初の号に掲載された宮崎県梅北小学校
(二)教師たちの『赤い鳥』への通信―佐土原小学校訓導「井上呉水」の投稿―
(三)宮崎県初の綴方入選・児湯郡美々津小学校
(四)童謡入選・高原小学校准訓導・押領司篤政
(五)童謡から「児童自由詩」へ
三 児童自由詩における宮崎の子どもたち
(一)東臼杵郡東郷小学校・高森通夫
(二)『赤い鳥』の休刊
(三)『赤い鳥』の復刊・東臼杵郡草川小学校の活躍
(四)自由詩欄選者の交代・東臼杵郡土々呂小学校の出現
(五)『赤い鳥』の終焉
四 北原白秋編『日本幼児詩集』
第二章 生活綴方の萌芽『鑑賞文選』
一 『赤い鳥』から生活綴方へ
二 『鑑賞文選』への投稿
(一)宮崎県の掲載校
(二)最初に入選した西諸県郡野尻小学校
(三)大正時代に主流だった県西部の学校
(四)県北部・門川小学校と土々呂小学校
第三章 宮崎県の生活綴方教師・木村寿
一 出発期の木村寿・東臼杵郡南方小学校
(一)自然観察の綴方
(二)文集の発行と『鑑賞文選』
(三)木村寿の綴方指導
(四)綴方指導への理解と無理解
(五)黒木道男氏と木村寿―ながく薫陶を受けた木村先生―
二 東臼杵郡岡富小学校の文集『日の光』
三 延岡小学校の文集『草の芽』
(一)延岡小学校の作品
(二)雑誌『綴方教育』に引用された作品
(三)子どもたちが作った文集『草の芽』
(四)文字の指導
四 転機をもたらした千葉春雄
(一)千葉春雄との出会い
(二)綴方「きり」
五 土々呂小学校の学級文集『光』
(一)文集『光』の発行と号数の問題
1 土々呂小学校への赴任
2 文集『光』
3 『光』第二十二号の問題
(二)『ヒカリ』から『ひかり』へ―文集名の変更と文字指導―
1 『ヒカリ』の創刊
2 『ヒカリ』第二号
3 『ヒカリ』第三号
4 『ヒカリ』から『ひかり』へ
5 木村寿の文字指導―綴方との関連―
①文字を絵と関連付ける
②絵を話にする
③連続絵話
④字話
(三)文集『光』にみる綴方教育の理念
1 文集名『光』の意味
2 木村寿の綴方教育観
3 『光』に表れた土々呂
4 木村寿の郷土教育論
(四)文集『光』における「調べる綴方」の展開
1 「調べる綴方」の始動
①「調べる綴方」と「調べた綴方」
②「調べる」ことへの誘い
③初めての「調べる綴方」
2 調べる綴方の展開
①二年生当初の「調べる綴方」と集団制作
②心を調べる綴方
③三年生での集団制作
④生活を聞く
3 木村寿の「調べる綴方」の位置
(五)文集『ひかり』における童話指導
1 文集『ひかり』の童話
2 木村寿の童話観
3 木村寿の童話指導と浜田広介の写実論
4 お話としての童話
(六)井伏鱒二と土々呂小学校の綴方「かばん調べ」
1 井伏鱒二と「かばん調べ」
2 木村寿の「調べる綴方」教育論
(七)文集『光』における童謡の位置
1 文集『ヒカリ』『ひかり』の中の童謡
2 北原白秋と木村寿・「提言」問題
3 白秋の童謡観と「発生的なもの」の妥当性
4 詩精神の要求
(八)文集『光』の終焉
1 『光』の解散
2 頻繁な転勤
3 佐々井秀緒の見解
第四章 宮崎県の綴方教師たち
一 雑誌『綴方教育』における清武小学校と恒富小学校
(一)清武小学校の指導者
(二)恒富小学校の指導者
二 木村寿と肩を並べた蓑部哲三―平岩小学校・美々地小学校―
(一)平岩小学校の児童の詩
1 百田宗治著『批評と添削 小学児童の詩』
2 巻頭を飾った詩「かやきり」(平岩小)
3 平岩小学校の指導者・蓑部哲三
4 転校先で詩を書いた「根井深雪」
(二)美々地小学校の子どもの詩
1 蓑部哲三、美々地小学校への転勤
2 持田ヒサ子「川」への評価
3 美々地小学校の綴方
4 蓑部鉄蔵(哲三)の退職
三 若き綴方教師・佐藤実―上野小学校・押方小学校―
(一)上野小学校での実践
1 上野小学校への赴任・文集『芽』の発行
2 文集『芽』
3 綴方の指導
4 詩の指導
(二)押方小学校での指導
1 佐藤実の綴方指導法
2 押方小学校の児童の詩・綴方
3 短すぎた教師生活
四 山あいの指導者・山崎梅夫―鞍岡小学校・大菅小学校・高千穂小学校―
(一)鞍岡小学校での指導
1 文集『土の子山の子』
2 詩の指導―篠原(馬原)カズ子さんのお話―
3 西山晴の綴方「牛の病気」
4 木村寿の『土の子山の子』への評価
5 文集『りんどう、くらおか』
(二)大菅小学校の文集『木の子草の子』
(三)熱血教師・山崎(今村)梅夫
(四)高千穂小学校の児童詩・綴方
(五)宮崎静坐会との関係
五 教師から漁師になった今村十三郎
(一)今村十三郎の指導―北郷小学校―
1 二篇の詩
2 文集『カガヤキ』―千葉春雄の賞賛―
3 『カガヤキ』第四号
4 『綴り方倶楽部』への執筆―方財小学校時代―
5 漁師になった今村十三郎
六 北郷小学校・前田彦太郎の指導―入下分校・文集『小鳥』―
七 椎葉重人・都市部教師の苦悩―第六宮崎小学校(江平小)―
八 阿萬祥吉・写生詩の指導―第七宮崎小学校(檍小)―
(一)詩三篇
(二)写生を根本に置く児童詩観
(三)入江道雄の評価
第五章 宮崎県の綴方教育
一 綴方教育の変遷―県西部から県北へ―
(一)県央・県西部で盛んだった大正時代の綴方教育
(二)県北部南方小学校の登場
(三)逆転した県央・県西と県北
(四)逆転の意味
二 南方性の意識
参考文献
初出一覧
おわりに