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幕末維新期における教育の近代化に関する研究

近代学校教育の生成過程

定価: 16,500 (本体 15,000 円+税)
蕃書調所創設から学制成立に至る約15年間を中心に、福井藩・静岡藩の地方レベルでの公教育的学校制度の生成過程および中央の大学校問題の特質と課題を解明。

【著者紹介】
熊澤恵里子(くまざわ えりこ)
2000年3月 早稲田大学大学院文学研究科教育学専攻博士課程単位取得中退
2003年2月 学位取得 博士(文学)
東京農業大学助教授、准教授を経て、
2009年より東京農業大学教授
目次を表示します。
序章 
  一 課題の設定
  二 研究方法
  三 本研究の構成と問題の所在
第一章 幕末期の国際的環境と教育の近代化
 問題の所在 
 第一節 蕃書調所=開成所における「学政改革」
  一 蕃書調所の創設
  二 開成所の「学政改革」
 第二節 海陸軍所の軍制改正との連携
  一 海陸軍所の軍制改正
   (一) 能力主義の徹底
   (二) 教育内容の変更
   (三) 海陸軍所の合併
  二 外国人教師の提言―基礎教育の必要性―
 第三節 啓蒙活動と教育の近代化
  一 西周の『万国公法』
  二 「中外新聞」の発行
  三 昌平坂学問所の洋学講義
第二章 維新期における近代学校への模索―静岡藩沼津兵学校―
 問題の所在
 第一節 学校規則の推移 
  一 明治元(一八六八)年―近代的な陸軍士官養成―  
   (一) 教育の目的
   (二) 「普通学」の採用
   (三) 「掟書」にみる近代性
  二 明治二(一八六九)年―兵学校から文武学校へ―
   (一) 「徳川家沼津学校追加掟書」
   (二) 「文武学校基本並規則書」
  三 明治三(一八七〇)年―静岡藩の上級学校―
   (一) 「小学教員」養成
   (二)  「静岡藩小学校掟書」
 第二節 沼津兵学校における教育の実態  
  一 教官の担当教科  
  二 予備教育の時間割 
  三 授業内容と学校生括
   (一) 兵学校
   (二) 附属小学校 
  四 沼津兵学校教員・生徒の進路  
   (一) 人材推挙に貢献した勝麟太郎の役割  
   (二) 兵学校出身者の出仕
 第三節 沼津モデルの全国的な展開
  一 他藩員外生の受け入れ  
   (一) 福井藩員外生受容の経緯  
   (二) 福井藩員外生の実態 
   (三) 他藩員外生受容の教育史的意義
  二 静岡藩の御貸人派遣
  三 静岡藩御預人の実態
第三章 幕末維新期福井藩校における教育の近代化
 問題の所在   
 第一節 幕末期藩校明道館における学校改革   
  一 諸藩の情報収集―村田氏寿『関西巡回記』から―   
  二 明道館における「学風改革」―洋学の導入―  
 第二節 維新期藩校明新館における学校改革   
  一 明新館の開校   
  二 教育内容の刷新―中学校「普通ノ学」の規定―  
  三 明新館における教育の実態     
   (一) 「公務取扱記」から   
   (二) 「子弟輩」の分析から   
   (三) 福井藩重臣中根雪江、村田氏寿の書簡から  
 第三節 文武学校の終焉   
  一 文武学校から近代学校へ   
  二 文武の解職―中央官僚と地方官吏の輩出―
第四章 福井藩の国内遊学にみる教育の近代化
  問題の所在  
 第一節 国内遊学のはじめ    
  一 西洋砲術の採用    
  二 文武・医術修行の奨励
 第二節 国内遊学の展開
  一 「他国修行」の制度化―学監心得橋本左内の意見書―
  二 学習内容の多様化
  三 遊学と藩校明新館学校改革の連携   
  四 遊学の普及と私費遊学のすすめ
 第三節 家臣団履歴にみる遊学の実態―「士族」「子弟輩」を中心として―
  一 遊学者の身分と年齢  
  二 遊学の時代的変遷  
   (一) 砲術修行―航海術修行―測量術修行  
   (二) 医術修行  
   (三) 学問修行   
   (四) 洋学修行・英学修行   
   (五) 兵学修行・喇叭修行  
  三 遊学後の経歴  
 第四節 静岡藩沼津兵学校への遊学   
  一 若代正(漣蔵)の沼津遊学
  二 若代正(漣蔵)のノートにみる沼津兵学校の数学教育
   (一) 沼津兵学校における数学教育の日本における位置
   (二) 若代正(漣蔵)の数学ノート
   (三) 土屋智編輯『筆算速知』
  三 遊学と教育の近代化  
   【付記】廃藩置県後の遊学―育英団体・輔仁会の設立―
第五章 「普通学」の概念の変遷と市民観   
 問題の所在   
 第一節 先行研究の整理 
  一 倉沢剛の小学校における「普通学」
  二 井上久雄の「普通学」
  三 武田晃二の「普通学」「普通教育」
  四 水原克敏の「普通学」
 第二節 「普通学」の概念
  一 基礎教育と専門基礎教育
  二 「普通」ならびに「普通学」の概念
 第三節 諸藩における「普通学」の規定
  一 初等教育段階と中等教育段階
  二 静岡藩沼津兵学校における専門基礎教育
  三 基礎教育の展開―文武学校から近代学校へ―
 第四節 西周の「普通学」
  一 学問体系としての「普通学」
  二 西周のコモン・サイエンスと市民観
  三 「普通学」と教育の近代化
第六章 明治政府における新しい学校構想
 問題の所在
 第一節 政府首脳による学校構想   
  一 松代藩士長谷川昭道(深美)の学校構想   
  二 漢学者松岡時敏の学校構想   
  三 国学者福羽美静の学校構想   
  四 維新官僚の学校構想
 第二節 東西大学校問題   
  一 「東西同一」大学校の存在   
  二 大学校における派閥対立―三学合併による収拾案―   
  三 政府の方針に対する諸藩の反応―尼崎藩公用人服部清三郎の記述から―
  四 政府の方針に対する漢学者の反応―大学少監仙石政固「学制大意」から―   
  五 大学大博士平田銕胤の反応
 第三節 京都学校の設立   
  一 「大学校調局」の設置   
  二 「大学校代」の開校   
  三 「大学規則」成立と京都学校の廃止
 第四節 京都学校存続と経済的問題   
  一 大蔵省と京都学校   
  二 京都学校運営経費の実際
第七章 明治三年「大学規則」成立過程にみる教育の近代化―大学別当松平慶永「魚雁録」を中心として―
 問題の所在
 第一節 大学別当松平慶永による学制改革の経緯   
  一 「学神議事」の取り扱い   
  二 学校行政官の権限の明示化   
  三 学則案の回覧   
  四 宮中大学校の存在   
  五 慶永の学制改革の決意―プロイセン学校規則への傾倒―
 第二節 「大学規則」成立への反発   
  一 「学風変換」に対する反発と京都学校の動き   
  二 プロイセン学校規則浮上の背景   
  三 「大学規則」「中小学規則」の成立
 第三節 大学本校廃止の背景とその意義―南校・東校の存続―   
  一 大学校教官並びに生徒の反発   
  二 「廃丞論」の真実   
  三 欧米大学規則の取捨選択   
  四 「大学規則」の教育史的意義
第八章 明治初年の大学校問題と国学―「平田家資料」を中心として―  
 問題の所在  
 第一節 集議院諮問「釈奠廃止・漢籍廃止」の争点   
  一 大学校大博士平田銕胤の主張
  二 平田延胤「弁 大学校規則答議 弁 十三藩妄議」
  三 平田延胤の「和魂万国才」
 第二節 国学者と洋学者の連携
 第三節 大学本校廃止の真相
  一 大学本校廃止に至る経緯
  二 国学者内の軋轢=学問論争
  三 大学における祭政一致と「神教学・修身学」
  四 大学校問題と教育の近代化
第九章 明治初年大学校・大学における学神祭の執行と終焉
 問題の所在
 第一節 学神祭の執行
  一 大学校における学神・学神祭
  二 学神祭に対する漢学者の反発と諸藩の動向
  三 京都学校への学神遷座
  四 学神遷座の真相
 第二節 京都学校における学神・学神祭
  一 玉松真弘・矢野玄道の学神思想
  二 京都国学者の強硬策
  三 国学者からみた大学校・大学の顛末
 第三節 学神祭の終焉
  一 京都学校学神の行方
  二 大学本校学神の行方
  三 大学における年中行事の変化
  四 学神祭終焉と教育の近代化
終章
あとがき
著者熊澤恵里子 著
発行年月日2007年06月30日
頁数586頁
判型 A5
ISBNコード978-4-7599-1636-2
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