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大正自由教育における体育に関する歴史的研究

定価: 21,450 (本体 19,500 円+税)
奈良女子高等師範学校附属小学校を事例に、児童中心的な体育実践が戦争へと向かう時代とどのような関係にあったのかを、史料を基に実証的に考察した労作。

【著者略歴】
鈴木明哲(すずき あきさと)
1964年 神奈川県生まれ
1988年 筑波大学体育専門学群卒業
1990年 筑波大学大学院修士課程体育研究科修了
1993年 岡山大学教育学部助手
1996年 岡山大学教育学部講師
2005年 筑波大学より博士(体育科学)の学位授与
現在 岡山大学教育学部助教授
目次を表示します。
まえがき
序 章              
 第一節 研究の目的と対象
  第一項 研究の目的
  第二項 研究の対象と時期
 第二節 先行研究の検討
  第一項 大正自由教育における体育に関する先行研究
  第二項 奈良女子高等師範学校附属小学校の体育に関する先行研究
 第三節 研究の課題
  第一項 実践へのアプローチ
  第二項 学校文書の利用
  第三項 児童中心的な体育実践の射程
  第四項 研究の課題
 第四節 研究の方法
  第一項 史料
  第二項 論述の方法
  第三項 用語と概念
第一章 奈良女子高等師範学校附属小学校における指導方法改良の同時代的意味
 第一節 1920年代「学習法」への批判と木下竹次の本心
 第二節 教育審議会における奈良女子高等師範学校附属小学校への警戒論
  第一項 教育審議会の設置と国民学校
  第二項 教育審議会における「合科学習」をめぐる論議
第二章 奈良女子高等師範学校附属小学校における児童中心的な体育の理論
 第一節 木下竹次の「学習法」による体育の理論
  第一項 木下竹次と奈良女子高等師範学校附属小学校
  第二項 木下竹次の教育論
  第三項 木下竹次がめざした児童中心的な体育
 第二節 川口英明による「自体自健の体育法」
  第一項 川口英明の赴任前後
  第二項 「自体自健の体育法」
  第三項 「分団学習」理論による体育
  第四項 『小学校各学年児童の体育学習書』
  第五項 「合科学習」理論による体育
第三章 1920年代の奈良女子高等師範学校附属小学校における体育実践
 第一節 1920年代の「合科学習」 における体育的内容の実践
  第一項 1920-21年度の実践
  第二項 1922年度以降の実践
  第三項 体育的内容に対する批判とその回答
  第四項 「中合科学習」理論の登場と身体活動
 第二節 1920年代の体操科実践と「自由体操」
  第一項 1921-22年度の実践
  第二項 1924-26年度の実践
  第三項 「自由体操」の限界
第四章 1930年前後の奈良女子高等師範学校附属小学校における体育実践
 第一節 1930年前後「合科学習」における体育的内容をめぐる問題
  第一項 身体活動必修の「合科学習指導要項」
  第二項 自由遊び重視の「合科学習指導要項」
  第三項 1931年以降身体活動必修化への流れ
 第二節 1930年前後における体操科内容領域の統合問題
  第一項 体操科内容領域についての木下竹次と川口英明の相違
  第二項 体操科実践への反映
  第三項 統合論と分割論の衝突
  第四項 統合論と分割論の体育史的意味
 第三節 体操や教練による規律・訓練と中等学校への連続性
  第一項 中等学校進学と「学習法」実践をめぐる問題
  第二項 奈良中等学校への連続性と体操科実践
  第三項 低学年指導に起因する規律・訓練の欠如
  第四項 規律・訓練の強化による体操科実践の合理化
 第四節 1930年前後における体操改革の試み
  第一項 三橋喜久雄の生命体操への関心
  第二項 ニールス・ブックの基本体操とその導入
  第三項 国民保健体操の導入
  第四項 体操改革頓挫の要因
  第五項 川口英明と「新体操」
 第五節 体育理論に関する学習
  第一項 体育理論に関する学習の導入とその進展
  第二項 川口英明による「運動の強さを測ったこと」実践
  第三項 体育理論学習の非合理性
 第六節 「日本精神」と奈良女子高等師範学校附属小学校
  第一項 1934年以降遅々とした「日本精神」の研究
  第二項 体育における「日本精神」
第五章 1930年代後半の奈良女子高等師範学校附属小学校における体育実践
 第一節 1935年以降の川口英明
  第一項 国語科への転向と最後の著書
  第二項 熊本帰郷後の川口英明
 第二節 北井柳太郎の赴任と体育論
  第一項 北井柳太郎の履歴
  第二項 群馬県時代の北井柳太郎
  第三項 奈良女子高等師範学校附属小学校への赴任とその経緯
  第四項 一貫した「学校体操教授要目」遵守の姿勢
  第五項 中央の体育界への「学習法」の紹介
 第三節 北井柳太郎の実践にみる1935年度から38年度
  第一項 「体操科学習指導方針」の検討から
  第二項 学習内容と指導方法の検討から
 第四節 1935年度から38年度への経緯
  第一項 北井柳太郎の体育論とその実践から
  第二項 1936年「小学校教育改革案」
  第三項 1937年以降職員会の議論
  第四項 北井柳太郎による「我に帰る体育の道法」発表
 第五節 1938年度の体操科実践
  第一項 第九回「学習研究会」
  第二項 木下竹次の「体育即教育観」
  第三項 1938年度「体操科学習指導要項」について
  第四項 1938年度「体操科学習指導要項」にみる体操科実践
  第五項 1938年度体操科実践の結果と参観者のまなざし
  第六項 「教育審議会案」の受容と姿勢の重視
 第六節 1935年以降「合科学習」における体育的内容
  第一項 「到達目標」と「系統案」の導入
  第二項 北井柳太郎と「合科学習」
  第三項 1936年「学校体操教授要目」改正と低学年の体育
  第四項 定着しない身体活動の必修化
  第五項 行事単元にみる体育的内容の動向
  第六項 木下竹次による「姿勢」中心の「合科学習」
  第七項 1938年度における体操科訓導の「合科学習」への関わり
  第八項 教育審議会における低学年体育に関する議論
 第七節 木下竹次主事時代最後の体育実践
  第一項 木下竹次から消えた児童中心的な体育
  第二項 北井柳太郎にみる児童中心的な体育の消長
  第三項 1940年度の体育実践
終章
 第一節 本研究の総括
 第二節 今後の課題
あとがき
人名索引
事項索引

著者鈴木明哲 著
発行年月日2007年01月31日
頁数588頁
判型 A5
ISBNコード978-4-7599-1613-3