昭和初期社会認識教育の史的展開
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序章 本研究の意義と方法
第一節 研究主題
第二節 本研究の特質と意義
第三節 研究方法と本書の構成
第一章 昭和初期社会認識教育の源流
第一節 明治・大正期の教育と昭和初期の社会認識教育
第二節 大正自由教育運動の継承と批判
一 大正自由教育運動の展開
二 大正自由教育における授業方法の改善
三 昭和初期社会認識教育への理論的継承
四 大正自由教育への批判
五 大正自由教育と昭和初期の社会認識教育
第三節 文部省による教育改革
一 文部省初等教育行政の影響
二 実業補習学校と公民科教授要綱
三 文部省による郷土教育の推進
第四節 諸外国からの影響
一 ドイツ教育学の影響
二 アメリカの新教育運動の影響
三 ソビエトの教育の影響
第五節 昭和初期社会認識教育の源流
第二章 初等公民科としての社会認識教育
第一節 初等公民科としての社会認識教育の展開
第二節 愛知県第一師範学校附属小学校の「郷土科」
一 愛知附小における「郷土科」の展開
二 社会科的内容の独自性
三 愛知附小「郷土科」に見られる中等公民科の影響
四 愛知附小「郷土科」の社会科的内容の性格
第三節 徳島県師範学校附属小学校の「郷土教育課程」
一 徳島附小における「社会科」の設置
二 徳島附小「郷土教育課程」の全体構成と「社会科」の位置づけ
三 初等公民科としての「郷土教育課程」の実際
四 徳島附小「郷土教育課程」の性格
第四節 明石女子師範学校附属小学校の「郷土教育カリキュラム」
一 及川平治の活動と「郷土教育カリキュラム」
二 郷土教育に対する批判と「郷土教育カリキュラム」の作成
三 及川平治の「郷土教育カリキュラム」にみられる社会認識教育論
四 明石附小における郷土教育の実際
五 明石附小「郷土教育カリキュラム」の位置づけ
第五節 歴史的意義
第三章 郷土地理科としての社会認識教育
第一節 郷土地理科としての社会認識教育の展開
一 小田内通敏の郷土地理研究
二 小田内通敏の郷土地理研究の論理
三 郷土教育連盟に与えた小田内理論の影響
第二節 郷土科特設をめぐる議論と尾高豊作の「生活郷土」
一 第二回郷土教育研究協議会における題材選択の問題
二 尾高豊作の「生活郷土」の理論
第三節 志垣寛の郷土科学の体系
一 志垣寛における郷土教育論の形成とその活動
二 志垣寛の郷土科学の体系にもとづく郷土認識の論理
第四節 郷土教育連盟「郷土学習指導方案」
一 郷土を構成する要素の有機的関連としての郷土社会
二 「郷土学習指導方案」に見られる社会研究の方法
第五節 歴史的意義
第四章 生活綴方科としての社会認識教育
第一節 生活綴方科としての社会認識教育の展開
第二節 村山俊太郎の生活綴方教育実践
一 綴方教育における村山俊太郎の位置づけ
二 社会認識方法原理としての科学的綴方
三 「山形地方の農村」に見られる社会認識の深化
四 実践「トマト日記」と「天神様のお祭」
第三節 北方性教育運動の社会認識教育論的考察
一 村山実践に見られる北方性教育の社会観・児童観
二 北方性教育運動の理論にみられる社会認識教育としての限界
三 北方性教育運動の展開と綴方カリキュラムの作成
第四節 国分一太郎の「綴方指導系統案」
一 国分一太郎の活動概要
二 「生活指導のための綴方系統案」の発展
三 国分一太郎の「綴方指導系統案」
四 国分の「綴方指導系統案」の歴史的意義
第五節 歴史的意義
第五章 直観科としての社会認識教育
第一節 直観科としての社会認識教育の展開
一 直観科としての社会認識教育
二 奈良女高師附小の理論とその影響
三 郷土教育の普及と社会認識教育への発展
第二節 東京女子高等師範学校附属小学校の「社会科」
一 東京女高師附小の「社会科」設置までの経緯
二 東京女高師附小における「社会科」の性格
三 東京女高師附小における「社会科」の実際
四 東京女高師附小「社会科」のその後の展開
第三節 浅草富士小学校の合科教育
一 富士小学校の合科教育の展開
二 文化創造をめざす低学年合科教育
三 ドクロリーの理論にもとづいた低学年合科教育の再構成
四 「富士の合科教育」と郷土教育
五 小林節藏の都市カリキュラム構想
六 富士小学校の「カリキュラム」の歴史的意義
第四節 歴史的意義
第六章 社会研究科としての社会認識教育
第一節 昭和初期における社会認識教育の到達点
第二節 峯地光重の「新郷土教育」
一 峯地光量の教育理論の変遷
二 社会研究をめざす郷土教育
三 上灘小学校における郷土教育の指導構想
四 社会研究をめざす郷土教育の実際
五 郷土教育における峯地の位置づけ
第三節 鈴木道太の「論文学習」
一 綴方教育における鈴木道太の位置づけ
二 鈴木道太「論文学習」に見られる社会認識教育論
三 歴史的意義
第四節 昭和初期社会認識教育と生活教育論争
一 留岡清男による社会研究科構想
二 留岡清男の発言と「生活教育論争」への経緯
三 昭和初期社会認識教育の諸問題に「社会研究科」構想が提唱する
もの
第五節 山下徳治のカリキュラム構想
一 山下徳治の活動概要
二 山下徳治のカリキュラム批判
三 山下徳治のカリキュラム構想
四 山下徳治のカリキュラム構想の歴史的意義
第六節 歴史的意義
第七章 昭和初期社会認識教育と戦後社会科への影響
第一節 昭和初期社会認識教育のその後
一 綴方教師弾圧事件と民間教育運動の動き
二 郷土愛育成の郷土教育
三 文部省による合科・綜合科計画と国民科の成立
第二節 昭和初期社会認識教育と戦後社会科への影響
一 戦後社会科成立までの概要
二 成立期社会科実践に見られる昭和初期社会認識教育の影響
三 昭和初期社会認識教育から見た成立期社会科の検討の必要性
終章