韓国近代学校における民族主義教員養成の成立過程
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まえがき
序論
1 本論の課題
2 時代区分
3 研究方法
4 研究資料
第Ⅰ部 近代的教員養成の萌芽
第1章 韓国近代化の前提
第1節 近代化への政治的展開
1 列強の侵略と鎖国政策
2 日本の侵略による強制開国
3 近代化への批判と壬午軍乱
4 開化派による甲申政変
第2節 前近代的教育の遺産
1 初等教育としての書堂
2 中等教育としての四学・郷校・書院
3 高等教育としての成均館
4 科挙制度と教員検定試験としての取才
第2章 宣教系学校における教員養成の構想
第1節 培材学堂のリベラル・エデュケーション志向
1 アッペンゼラーの来韓
2 培材学堂の教育活動と教員養成
第2節 梨花学堂の伝統文化尊重
1 スクラントン女史の来韓
2 梨花学堂の教育活動と「教員服務義務」
第3節 けい(イに敬)新学校の儒教的教養重視
1 アンダーウッドの来韓
2 けい(イに敬)新学校の教育活動と教員養成
第4節 宣教系学校における教員養成の胎動
第3章 民族系学校における教員養成の基底
第1節 元山学舎の民族精神覚醒
1 元山学舎の設立経緯
2 元山学舎の教育活動
3 元山学舎の再検討
第2節 同文学の人文・社会的教養志向
1 同文学の教育活動
2 同文学の再検討
第3節 育英公院の近代的教養重視
第4節 民族系学校における教員養成の胎動
第4章 日本系学校における教員養成の胎動
第1節 目語学校と留学生派遣
1 岡倉由三郎の教育活動
2 有次満象の「見聞録」にみられる日語学校
第2節 日本系学校における教員養成の胎動
第5章 黎明期における教員養成と教師像
第Ⅱ部 「三気質」主義教員養成の移入
第1章 甲午改革による教育の近代化
第1節 東学農民乱と日清戦争
第2節 近代化への甲午改革
第3節 甲午改革による教育の近代化
第2章 日本の「三気質」主義教員養成
第1節 森有礼の教員養成観
1 教育政策の基本構想
2 教員養成論
(1)「三気質」教員養成論
(2)教育者精神論
第2節 「師範学校令」と師範学校の改革
第3節 学科課程の編成
第4節 軍隊式教育の導入
1 兵式体操の導入
2 軍隊式教育の展開
第3章 韓国と日本の教員養成論
第1節 師範学校条例取調委員の教員養成論
1 高嶺秀夫の開発教授法
2 中川元の教育学研究重視論
3 手島精一の実業的教養重視論
第2節 教員養成論争
1 2年制専門教育論
2 教育者精神論
3 Normal Method論
第3節 対韓植民地教員養成論
1 私立師範学校設置勧奨論
2 簡易中学校合同教員養成論
3 韓国教員養成制度論
4 義務教育準備と教員養成優先論
5 教育者精神論
第4節 外交使節団の教員養成論
1 東西折衷教員養成論
2 Normal Method論
第4章 教員養成機関における「三気質養成」の移入
第1節 民族系学校における「三気質養成」の移入
1 漢城師範学校の創設と「三気質養成」
(1)漠城師範学校の創基―「師範学校」の設立
(2)漢城師範学校の創設過程と「師範学校」の関連性
(3)漠城師範学校に関する法規
1)「漢城師範学校官制」と日本の1886年「師範学校令」
2)「漢城師範学校規則」と「三気質養成」の移入
3)漢城師範学校の学科課程
(4)「三気質養成」の挫折と「兵式体操」の変容
(5)漠城師範学校の教員養成と教師像
2 中学校の教科専門教育
3 民族系学校における教員養成の模索
第2節 日本系学校における日本語教育と「三気質養成」
1 韓商学堂の日本語教員養成
2 仁川外国語学校の日本語教員養成と軍隊式教育
3 京城学堂の「実業」教員養成と兵式体操の強化
4 日本系学校における教員養成の模索
第3節 宣教系学校における民族精神教育
1 梨花学堂と教員養成体制への整備
2 培材学堂の民族精神教育
(1)学制整備と民族精神教育
(2)政府委託生による教員養成
3 宣教系学校における教員養成の模索
第5章 開化期の教員養成と教師像
第Ⅲ部 民族主義教員養成の成立
第1章 「日韓保護条約」と統監府の教育政策
第1節 「日韓保護条約」の締結
第2節 統監府の教育政策
1 統監府教育政策の基本構想
2 植民地教育への教育法規
3 「模範教育」と初等教育
4 高等教育の抑制と中等教育
第2章 対韓植民地教員養成論
第1節 日本政府・統監府による教員養成論
1 幣原坦の「韓国教育改良案」
2 文部省学制と雑誌『新人』
3 学部次官俵孫一と青木寛吉の教員養成無用論
第2節 民間・団体による教員養成論
1 大日本帝国教育会の「韓国学制大綱」
2 雑誌『教育界』の「速成師範学校」
3 雑誌『教育時論』の「特殊師範学校」
4 堀江秀雄の「新教育者」
第3章 教員養成機関における民族主義教員養成の成立
第1節 日本系学校における「教育者精神主義」の移入
1 日本の「教育勅語」と井上毅の「教育者精神」
2 官立漢城師範学校への改組と「教育者精神主義」
(1)官立漢城師範学校に関する法規
1)「師範学校令」
2)「師範学校令施行規則」改正
(2)増戸鶴吉の教員養成思想
(3)臨時教員養成科の特設
(4)「各科教授法」―『普通教育学』
(5)官立漢城師範学校の実憩
3 官立漠城高等学校の教科専門教育
4 官立漢城高等女学校の「実業」教員養成
5 日本系学校における教員養成の展開
第2節 宣教系学校における民族主義教員養成の台頭
1 宣教系学校の発展
2 宣教系学校に対する学部当局の対応
3 培材学堂の「教費制」教員養成
4 梨花学堂の教員養成と伝統文化重視
5 けい(イに敬)新学校の民族主義教員養成
6 宣教系学校における教員養成の展開
第3節 民族系学校における民族主義教員養成の成立
1 教育救国運動の展開
2 民族精神の具現
(1)民族精神論
(2)「英雄論」
(3)東西折衷論
3 民族的教師論
(1)民族精神主義教師論
(2)「英雄」的教師論
4 民族系学校教員
(1)教員不足と教員養成論
(2)学部当局の私立学校教員政策
5 民間による教員養成
(1)「勉学会」の安岳夏期師範講習所
(2)大成学校の「務実力行」
(3)五山学校の民族精神教育
(4)平壌夏期師範講習所の開発教授法
6 学会による教員養成
(1)国民師範学校のキリスト教精神
(2)西友師範学校の東西折衷
(3)畿湖学校の「各科教授法」
7 民族系学校と教員養成の展開
第4章 民族主義教員養成と教師像
結論
あとがき